振替休日の小学生が複数あつまりました。
まったりスタートし、お互いの様子を見ていた前半とは打って変わり、後半はクルミの木を発見し、実を落とすのにかなり熱中していた人、ブンブンゴマづくりに真剣になる人など、徐々に自分のやりたいことが見えてくる一日でした。
年齢があがるほど、やりたいことを見つけるまでのアイドリングタイムをじっくり確保したいなあと、改めて思いました。
(さいこ)
大人Mさんが墨遊びの用意を持ってきてくださいました。
(写真がなくて残念なのですが、)Mさん本人が、シートのうえで紙を広げて、墨で濃淡をつくったり、ペタペタ塗り続けたりする横で、濡らした布をかけておいたら、それぞれがおもいおもいに墨で描き、パステルで色も加えられ、おもしろい作品になりました。
宝探し(きもだめし)をしました。
お宝(サイリウム)を何個隠すか、どこに隠すか、どんなふうに隠すか、どうやって探してもらうか、地図はどんな風に書くか、何枚書くか、グループ分けはどうするか、お宝が足りなくなったらどうするか、足りなくならないために申込制にするか、やっぱり自由参加にしようか、手伝いたいという子がいたらどうするか、怖がらせるようなことはするか、子どもたちがほぼほぼ決めました。
前日の同じ時間にはロケハンして、実際にどのくらいの暗さになるのか、どこにお宝を置くかなど細かいことを決めました。
当日、不備が見つかったり、トラブルがあったり、バタバタしたり予定通りに進まないことも多々ありましたが、なんだかんだ企画した子どもたちも当日手伝いをした子どもたちも、参加した子どもたちも、それぞれがいい表情をして、戻ってきました。
(さいこ)
こんな感じで造形の道具や材料を持ち運んでいます。
夏の暑さを思い出す陽ざしの下で、思いっきり水遊び。とにかくすっぱだかになっちゃう人、川でわにになる人、水のすべり台をためす人、はっぱスープをつくってふるまう人。
ウォータースライダーは、大人Yさん発案。大人もやりたいことをやれるのが、なによりうれしいです。
現在、日常的におあずかりしているお子さんの最年少は2歳、最年長は7歳。
おあずかりしたお子さんは、私だけでなく、こちゃっこいに参加する大人全員で見守っています。
我が子を誰かにあずけること、わが子でない誰かをあずかることを通して、我が子を客観的に見ることができたり、他のお母さんのわが子への対応から学ぶことがあったり、どちらの立場で参加しても、母子だけで過ごす時間とは違う、ゆかいな経験になればいいなあと思っています。
敢えて「あずける人⇔あずかる人」の関係をかためず、みーんなまるっと「おたがいさま」の関係を大切にしたいと考えています。
(さいこ)
30個(も!)ビーカー(みたいな?)を譲っていただきました。
お譲りいただいたときには「絵の具あそびのときに使えるかしら」と思っていただのですが、10個ほど持ち歩いてみたら、あらびっくり。川の水をくんで別のところに流したり、どんぐりをどれくらい集めたか測ってみたり、おままごとのお椀になったり、水槽になったり、ふたつぶつけて音を鳴らしたり、いろんな遊びに大活躍でした。ありがとうございます!
子どもの遊びに使えそうな不要なモノが出てきましたら、思いっきり遊びたおすことができるかもしれませんので、処分する前にとりあえずご一報いただけるとうれしいです。
半紙を使ってお花をつくっていると、子どもたちがあつまってきました。
私の手をじっとみて、同じようにお花をつくる人(そして妹にプレゼントしていました)、
最初はまねていたけど、途中からひらめいてちょうちょやリボンをつくる人
(いろいろつくって、いろんな人に配っていました)、
半紙とガムテープでなにやらつくる人、
半紙に電車やらいろいろとお絵描きする人、
さらに半紙からも離れて、ガムテープと落ちている枝で飛行機をつくる人、
一人の花づくりからヒントを得て、子どもたちそれぞれの中からいろんなものがわきあがり、あふれ出てきました。
ひとつひとつに物語があります。
それぞれのできあがる過程を見られるのが、よろこびです。
子どもたちには、誰かにほめてもらうためにつくるのではなくて、ただ自分がつくりたいからつくるという経験をしてほしいな、
そして大人には、何が何やらわからないけど、とりあえずつくっていて楽しかったのね、とつくった瞬間の子供の気持ちを汲み取ってもらえたらなあと、思います。
(さいこ)
チョークで、街を描きました。
最初は線路。太くなったりにょろにょろ曲がったりしながら、まるっと1周つながりました。
トンネルや橋ができ、駅や踏切が増え、道路ができて、ビルや家が建ち、チョークがなくなるまで街は広がっていきました。
最初に描き始めたSくん。
線路の幅が太くなったり細くなったり、自在に変化するの
小1ふたりは向かい合わせになって、一緒に線路を描いて
離れていながら、お互いの状況は把握しているようで、徐
昨日の聴き合いの時間で、【平日(月水金)は、私がいなくてもこちゃっこいはひらく】ことが決まりました。
この喜びをどう表現したらいいか、わかりません。
なぜこんなにうれしいのか、かみくだいて説明したいけれども、まだ表現しきれません。
こちゃっこいが、とうとう私から離れても存在できるまでに成長してきたことが、たまらなくうれしいです。
というわけで、私が出られない【7/14(金)、19(水)】もこちゃっこいをひらくことになりました。
子ども単独で参加できるかどうかは、当日相談して決めたらいいかなあという話になりました。
昨日は、子どもたちを見守ってくれる大人が(二人も)偶然ふらりとやってくる!、というミラクルが私たちに訪れたおかげで、ひとりひとりの声をじっくり聴き合うことができて、ここまで決めることができました。芝くん、香里さん、ありがとうございました!
(さいこ)
夕飯どき(17時)からあつまりました。
徐々に日が沈み、暗闇に変わっていく、空のうつりかわりをみんなで楽しむひとときです。
夏季限定のお楽しみ、今年は何回できるでしょうか。
(さいこ)
初めてのお預かりのTちゃんから始まった団子づくり。
少しずつ輪が広がり、最後には、全員で遊びこんでいました。
見守っていた大人ふたりが撮った写真とふたりのあふれる気持ち満載のコメントです。
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母と離れ、寂しくなったTちゃん(2)。
雨上がりの中、何処か隠れているのかなと
樹々の間を何度も転びながら、
お母さんを探してました。
ふと、思わずにんまりしてしまうような、
もこっもこっとした、もぐら塚を見つけ、
駆け寄りました。
そこから、団子作りが始まりました。
もうお母さん探しは終了。
いつの間にか、Sちゃんも寄ってきて、
Jくんと4人でたぁくさんの団子を作りました。誰かがアイス♪と言うと、
アイスクリーム屋さんを始めることに。
「いらっしゃいませ〜、いらっしゃいませ〜」
Tちゃんは大きな声でみんなを呼びました。
アイスクリーム屋さんは大繁盛。
子どもたちだけの場が、時間が、
森の中でどこか煌めいて見えました。
(由紀)
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Mちゃん、Sちゃんがあっちにお店あるよ~はい食べて~ってふたりともとっても楽しそうで、わたしにもはじめてなのに自然に、一緒に遊んでるんだよねってふうに話しかけてくれました。
この遊びの時間が作った輪を感じました。
これまで一緒に遊んでいなかったけど、数ヶ月同じ場を共有してきて、ひとりひとりが、おとなもふくめ、お互いを意識しあっていたんだ、細い糸のようなもので繋がっていた、それが今日見えたような気がしました。
うれしかったです。
最後の写真は、みんな同じ高さになってるって思いました。
(夕美子)
この日のSちゃん(7)。
お弁当もとらず、飲み物も飲まず、ひたすらひたすら色たちとじっくり語り合っていました。
赤と黄、青の3原色の絵具を使って、ねじったり、しぼったりして染め分けたり、指をはじいいて染めた上からかけてみたり、絵の具を混ぜて中間色をつくったり、絵の具がなくなるまで、さまざまなトライ&エラーを繰り返していました。
実は、染めている布のようなもの、譲っていただいたカット綿。こんな形で活かされるとは、思いもしませんでした。
(さいこ)
私自身が子どもたちと一緒につみかさねていきたいのは、生まれては消えるような、はかないあぶくのようなちいさなちいさなたくらみの数々。
もしかしたら、その中に、おおきな形と成っていく種もあるもしれないけれども、たいていはなにがなんだかさっぱりわからない名もない遊びに、おもしろがりながら、じっくりつきあっていきたいなという思いが、むくむくと湧いてきました。
「こちゃっこいに『学校』のように通うなら」「小学生を平日預かるんだから」と肩に力が入って、気負って、学習につながるかとか、生きることにつながるか、とかそういう思いがついつい頭をもたげがちだけど、そういうことはとりあえず横に置いて、ただひたすら遊びまくる、私はその遊びにとことん付き合う、そこから始めてみよう、と思いなおしました。
遊んでいる中で、何かおおっと思うものが出てきたら、その時に、改めて、子どもも大人もみんな一緒に輪になって、じっくり腰を据えて考えていこうかな。
日々日々揺れまくっていますが、とりあえず今は、こんな感じです。
(さいこ)
母から離れて、仲間と過ごす時間。
大人が少ないと、子ども同士が目を交わし、言葉を交わすチャンスが、ぐんと増えますね。
(さいこ)
自分のモノを返してほしい時、「返して」と直接相手に言うのが一番シンプルな方法だとは思う。
でも、いつでも、誰にでも「返して」と言えるわけじゃない。
相手が自分よりも身体が大きかったら、
相手がすごく楽しそうに使っていたら、
「返して」と言っても、戻ってきそうになかったら。
※これは、あくまでも私の想像だけれども。
「返して」と言えないけれども、返してほしい気持ちはどんどん募る。
返してほしい気持ちが頂点に達したAくんは、お母さんに気持ちをぶつける。悔しくて、でもドキドキして言えない気持ちは、お母さんにのっかって鼻をこすりつけるという表現になって、あふれだす。お母さんもAくんの気持ちを相手の子に代弁せずに、ただただAくんの気持ちにじっくり付き合い、その場をAくんと共に離れる。
そんなAくんの様子をじーーっと見ていたBくん。
そっとAくんのモノをビニールシートの上に置いて、その場を去った。
Aくんの気持ち、Bくんに伝わった!?
※横で見ていた私は、これは伝わってるぞ、と思った。
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こういう言葉にならないやりとりって、まどろっこしいし、とても時間がかかるんだけど、たくさん積み重ねていきたいなあと、思っています。
伝える側も、伝えられる側も、どちらにも、とても学びの多い経験だし、お互いをよく知ることができるから。
(さいこ)
かれこれ5か月、「どじょう」に熱中しているAくん(6)。
先日捕獲したどじょうが、今まで捕まえ続けてきた「しまどじょう」とは違う、と気づいたようで、「自然観察センターの人に聞いてみる」と言って、そのどじょうをペットボトルに入れて持ってきました。
ひとしきり遊んだあと、いよいよ、意を決した表情で、「自然観察センター、行ってくる」と出かけていきました。
事務室の手前で、じーーっと、かたまっているAくん。
働く職員の動きをじっと見ながら、「忙しいかなあ」とつぶやきます。Aくんの緊張した様子がこちらにも伝わってきます。
「大丈夫。さ、言ってみよう。」と声をかけ、背中に手を添えると、
Aくん、すっと息を吸って、「このどじょう、なんていう名前か教えてください」とはっきりていねいに言いました。
(私には決して使わないこの言葉遣い!彼はTPOに合わせて、言葉を変えることができます。)
すると、職員さん、3種類のどじょう写真を見せてながら、「どれだかわかるかな?」と質問。
じーっと写真を見て、ひとつを指さしたところ、職員さん、にっこりして「せいかーい。どじょうだよ。」
Aくん、表情が「???」だったのですが、「『ほとけ』とか『しま』とかつかなくて、ただの『どじょう』なんだよ」と教えてもらうと、ええええ!って大いに驚いた後、満面の笑顔で「そうなのかあ」とつぶやいてました。
帰り道、「ここ(自然観察センター)に来れば、野川にいる生き物のことなら、なんでも教えてもらえるね」と、きらきらした目をしながら、言っていました。
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答え(どじょう)は、大人がネットで検索したら、すぐに判明したかもしれないけれど、こども自身が答えを知っていそうな人に質問を投げかけ、それに応えてもらうことで得られた手応えは、ずっしりしてるんじゃないかな、と思います。
「答え」より「応え」がおもしろい、かな。
(さいこ)
バナナを食べ始めたSくん(2)を見て、「バナナほしい」と言うTくん(2)。
それを聞いたSくんは下を向く。直接ダメとは言わない(言えない)けれど、このしぐさでTくんには伝わったようで、しばらくしたら、Sくんのそばから離れて、遊び始めた。
3分の1残したところで、Sくん「もうバナナいらない」と私のもとにやってきた。
私は、Tくんにバナナをあげたいのかなあと想像して、「Tくんにバナナ、あげる?」と聞いてみる。
Sくん、うなずく。
私「Tくんに言う?」
Sくん、うなずく。でも、声は出ない。
しばらく待って、私「Tくーん。」と呼んでみると、Tくん、とんでくる。
(もしや、この気配に気づいていたのだろうかと思うくらいのスピード)
Sくん、ずっと下を向いていて、何も言えない。
しばらく待って、私「渡す?」と聞いてみると、Sくん、首をふる。
私は、Sくんの気が変わったのかなと思って、眺めていたら、Sくんは、そっと草の上に、バナナを置いて、その場を離れた。
Sくんが離れたところから見守る中、Tくんはおもむろにバナナを拾いあげ、ぱくっと食べた。
Tくんがめっちゃおいしそうに食べるのを、Sくんが満足そうに眺めていると、TくんとSくんの目が合って、ふたりはにーーっと笑いあった。
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2歳児同士のやりとり。
このふたりは、以前にものをめぐってとりあいしたことがあり、Sくんは直接手渡すことが怖かったのかもしれない。それでも、なんとかしてバナナを渡したいと思ったSくんの渾身のアイデア。怖かったけど、バナナを渡せて、笑いあえたことで、また少し、ふたりの距離が縮まりました。
大人が間に入れば、あっという間に終わってしまうであろうやりとりだけれど、この小さなやりとりの積み重ねが、その子自身の知恵と経験となり、やがては自信につながればと思い、最小限のサポートを心がけています。
(さいこ)
今日は、6~10歳が5名と犬が2匹も参加。
特別なことは何もしなくても、いつもと同じ場所でも、あそびにくる人やあそびにくるときの気持ちが変わるから、毎日がかけがえのない一日。
Tくん(2歳)から、リクエストがありました。
何度も何度も私に伝えようとして、伝えるために近づいても言えないままでいたらしく、とうとうお母さんの口から「実は、ずっと『飛行機(が見える)公園に行きたい』と言おうとしているのだけれども、伝えられていない」と教えていただきました。
そこで、Tくんに改めてその気持ちを聞いたところ、「うんうん」とうなずき、今にも行きそうな勢いで歩き出したので、
「みんなと行きたいなら、その気持ちを伝えてみようか」と言ってみました。
(みんなが登っている木まで近づいて)
私「Tは、行きたいところがあるんだよね」
(Tくんうなずく)
私「T、前にみんなで行った、飛行機が見える公園に行きたいんだよね」
(Tくんうなずく)
私「次のこちゃっこいで、行ってもいいかなあ」
みんな(顔を見合わせたり、Tくんをちらちら見たりして)「いいよー」
Tくんがしたいことを子どもに伝えたのも、
Tくんがしたいことを、みんなで一緒にすることになったのも、
今回が初めてのことです。
やりたいことや行きたいところがあって、一緒にやりたい・行きたい仲間がいて、その仲間にその気持ちを伝えたら、それが実現できた、という経験は、目に見える成果はなくとも、本人には大きな自信につながると感じています。
そんなわけで、次のこちゃっこいは、【野川公園→武蔵野の森公園】まで歩いていく予定です。
目的地に行くことより、やりたいことをすることを大切にしているので、当日みんなの気持ちが乗らなかったら、そのまま野川公園で遊びます。
さあ、果たしてTくんの想いは実現するのでしょうか。
(さいこ)
「○○は、虫とり名人だよねー」
「××は、お花を摘むのがじょうずー」
「さいこは、へび捕まえたことあるよー」
などと、仲間の得意なことを口々に出し合っているところで、
ある子が、じーーーっと考えこんで、
息を吸って、鼻をふくらませて、言った一言。
「ぼくはねえ、お母さんつかまえるの、すごいよ」
その子の母親へのおおらかな愛と、
お母さんのその子を包み込む大きなふところを感じて、
なんだか泣きそうになりました。
(さいこ)
最近、Rくんが来ないから、(お父さんの)Mさんもいないので、全然野球ができない。
Mさんに来てほしいって思っている。(ゆうご)
リクエストがありますので、最近、終わり際に、絵本を読んでいます。
読み始める前、まずは、どの場所で絵本を見るのか、しばらくの間、子ども同士でお互いに顔を見合わせながら、微調整して、みんなが落ち着いた様子を見せたタイミングで読み始めています。
何度かの経験を経て、どうやら横一列に並ぶと、みんな見やすいと理解し始めている人が、何人か出てきました。
さっと列を詰めて、「こっちだよ」とぽつりと言う人。
その声に応えて、少し照れくさそうに間に入り込む人。
「せまいなあ」と言いながらも、もうちょっと空ける人。
声が小さかったり、目が合わなくて、相手に伝わらないこともあるけれど、少しずつ、大人を介さずに子どもたち同士で、伝える力・聴き取る力がついてきている感じがします。
先日、じっくり絵本を聴く雰囲気が(自然と)あったので、
試しに「実は、靴を脱いでくれたら、うれしい」と伝えてみました。
脱がなきゃだめ、じゃなくて、脱いでくれたらうれしい、と。
ひとりひとりもぞもぞ脱いだり、仲間に脱がせてもらったり。
ある子は、脱ぎたくないからか、シートから足が出るように後ろに下がったのだけれども、しばらくしたら、靴を脱いで、みんなの列に戻ってきました。
戻ってきたとき、ニカ!っと満面の笑顔ですすすっとみんなの間に入っていきました。
なんだか胸がじんとしました。
※ちなみに、私は、立っていたり、絵本の目の前に出てくる子がいても、あまり何も言わないことが多いです。
「見えなーい」と他の子どもが言っても、その子が何のことやらわかっていない様子を見せたときだけ、その子に「こっちに座ったらいかがでしょう」と言葉やしぐさで伝えています。どうしても伝わらない人は、そっと動かします。
見えなくて困っているのは私ではなくて、見えない子本人。見えなくてもちっとも困らない子もいるので、余計なことは言いたくない、というのと、困っている子本人が声を挙げる経験を奪いたくない、というのと、困っている本人から言われたほうがちゃんと相手にささる気がする、というのが主な理由です。
(さいこ)
私のつくった廃木材製ヘリコプターが川に浮かぶか、試してみたところ、半分沈んで、不時着したように、ぷかぷか、ゆらゆら浮かびました。
それを目撃した子ども4名、大興奮の嵐。
ひとしきり感嘆のうめき声を挙げたあとは、おのおのが次の動きに出ました。
Aくんは、自分が作った廃木材製iPadを操作する手ぶりで、実況中継。動画撮影していたのかも。
Bくんは、不時着した乗組員が乗り込める葉っぱの救命ボートを次々に投げ込みます。
Cくんは、川に入り、ヘリコプターを追いかけ、ヘリコプターが止まらないように応援します。
Dくんは、川べりからヘリをのぞきこむ。勢いあまって、くるんと前転して、川にずぼん。
ひとりひとり、ヘリコプターに自分の想いを乗せている姿に、心が踊りました。
(さいこ)
1年前、私たち3人だけでも十分楽しいけれども、
せっかくならオープンにしてみようという思いでスタートした「こちゃっこい」。
結局この1年間、誰も来なかった日は1日もありませんでした。
「もしかしたら、リーダーと相談役がいなくても、私(彩子)一人だけでもひらけるかもしれない」と、
10月から平日にもひらいてみたところ、思いのほか、おもしろおかしく過ごすことができました。
大人ひとりで、ふらっと遊びに来た人もいました。
学校や幼稚園を休んだ子どもが、遊びに来てくれることもありました。
風のように、一瞬だけ姿をあらわして、去っていった人もいました。
ただひたすら、じっくり話を聴き合っていることもありました。
ずっと工作するために、くりかえし遊びに来る人もいました。
昼寝したり、持ってきた本やマンガを読んでのんびりする人もいました。
野球やサッカーのようなゲームに発展することもありました。
川遊びでぐっしょりびっしょり濡れて帰ることもありました。
どの日も、同じ日はありませんでした。
毎回、大小さまざまなサプライズがありました。
誰も来なくても、ひとりで楽しめる自信がついてきたし、
4月は、【(だいたい)月・水・金の週3回】ひらいてみようと思います。
(さいこ)
東京サドベリースクールの様子を聞いた相談役から、
「僕たちのことを知らない人の中にも、こちゃっこいをおもしろいと思ってくれる人がいるかもしれない。もしそんな人がいるなら、そういう人と出会いたい。」との発言がありました。
新しいことにはとかく慎重になりがちな、相談役からのこの発言。
この1年間、ほとんど広報活動をせずに、お知り合いや紹介のみで、場を開いてきましたが、そろそろ次の一歩を踏み出すタイミングなのかもしれないと思い、相談役のことばに、私も乗っかってみることにしました。
リーダーは、今回は「ふたりがやりたいなら、どうぞ」というスタンスでしたので、
まずは、相談役とふたりで、こちゃっこいが大切にしていることに近しいと思わしき団体を探したりして、アプローチをしようと思ってます。
そのひとつが、フリースクール全国ネットワーク。支援会員になりました。
こちゃっこいはフリースクールではありませんが、子ども自身がありのままでいることが、学びの源泉となる場所をつくっていきたいと思っています。
(さいこ)
先日、東京サドベリースクールを見学させていただきました。
子どもを十分に信頼し、子どもの意思を最大限尊重し、
大人から与えられたプログラムもカリキュラムもルールもないから、
そこにいる大人や仲間の見せる背中やいきざま、たたずまい、
インテリアや道具や本などの選定や配置など、目に見えるもの、手に取れるもの、
におい、風、音、気配など、場にやどる力のようなもの、などが、
まっすぐ子どもたちに届くのかものかもしれない、と思いました。
省いても省いても、それでも最後に残るものは何だろう。
それは残ってしまうものなのか、残したいものなのか。
”本人が選んでいる”というテイで、甘えていないだろうか。
ほんとに”本人が選んでいる”のだろうか。選ばせていないだろうか。
今日も自問自答しながら、ゆれながら、そのゆらぎの中で、
めいいっぱい、世界を、ヒトを、いとおしみたいと思います。
(さいこ)
「あ、ほしい!」と思ったとき、「買う」という選択肢が自然と出てきます。
どこで買うか、どんなものを買うか。
いくつか候補が出てきて、最終的に、その中からひとつ選びます。
「買う」にはお金が必要です。
お金が足りなかったら、ほしいものが買えない。
お金がたくさんあれば、いろんなものが買えたり、高いものも買える。
ほしいものを手に入れるために、お金がたくさんほしくなる。
でも、「買う」以外にも、手に入れる方法はあります。
たとえば「借りる」とか「もらう」とか「ひろう」とか「つくる」とか「修理する」とか。
「借りる」「もらう」には、まず、誰かにお願いする必要があります。
貸してくれたり、譲ってくれる知り合いを見つけ出して、頭を下げる。
のんびり探してみれば、意外なところでひょっこり出てくることがあります。
「ひろう」「つくる」「修理する」には、自分自身に技が必要です。
試行錯誤しながら、とにかく目や手を動かしてみることで着実に力がついてきます。
あと、「ちょっと待ってみる」という選択肢もあるかも。
落ち着いてみたら、ほしくなかった、ということも多々あるから。
知り合いが増えたり、自分にできることが増えたりして、
ほしいものを手に入れる方法に広がりや変化が出てくるようになってきて、
少しずつ肩の力が抜けて、いろいろなことが楽になってきたような気がします。
買ってもいいし、買わなくてもいい。
どちらでも、その時の気分で、自由にふらふらできたらなあ、と思います。
(さいこ)
モノや場所をめぐって、しばしば衝突が起こります。
・所有権は、先に使っていた方にある。横取りしてはいけない。
(ただし、その人の前に使っていたときは、横取りしてもよかったりもする)
・手を先に出さない。(ただし、相手に手を出されたら、やり返してもよかったりもする)
・やめてほしいときは、口で「やめて」と言う。
・誰かが使っているモノを使いたいときは「貸して」と言う。
・「貸して」と言われたら、すぐに貸すか、「あとで」と答えて、少ししたら貸す。
・まだ使いたくても我慢して、しばらくしたら次の人に貸したほうがいい。
・「ごめんね」と言われたら、(まだ気持ちが落ち着いてなくても)「いいよ」と答える。
などなど、なんとなく存在しているお約束(のようなもの)で
子どもの行動を裁かず、(私には何が正解なのか、わからないことばかりです)
目の前でぶつかり合っている双方の気持ちをひとつひとつ確認しながら、
お互いの気持ちを、お互いが知れるようにお手伝いしたいと思っています。
言葉で表現しない人の気持ちを代弁して、相手に伝えること、
ひとりでは言えない(けど言いたい)人と一緒に、相手に伝えること、
を大切にしています。
それは、言えない、言わない子どものため、だけではなく、
言葉が流暢な子、上手に立ち回る子にこそ、それができない相手の気持ちを耳を澄ましてじっくり聴く機会をつくりたいと思っているからです。
自分の感情がどちらかに偏っていないか注意を向けながら、
ただただ、ひたすら、まっさらな気持ちで、聴けるようになりたい、と思っています。
(さいこ)
「退屈だー。」「つまんなーい。」
参加している人たちから、そんな声があがることがある。
そんなとき、私は
(そんな気持ちを正直に言えるすこやかさを感じながら、)
「そうかー。退屈かあ。それはなによりだー。」という思いで、
隣で、その退屈を一緒にゆっくり味わいたいと思う。
一緒に、のんべんだらりんと、空を見上げ、
とりとめもない話をしたりしているうちに、
急に、思い立ったように、動き出すことがある。
やることがない状態が続いた後の遊びは、
たいてい不思議な、名前のない、その人らしさがあふれ出ていることが多い。
今日は、太い枝の木の皮を、ひたすら剥く遊び。
ひとりは金やすりで、もうひとりはかなづちのとんがっているほうでつっついて、剝いていた。
はじめはおそるおそる、だんだん着々と、ひたすら、剝くふたり。
剥いてどうするとか、何かをつくるとか、そういうことはまったく考えずに、
ただただ、剝くこと自体が面白いようで、お互いマイペースに剝く。
もくもくと、木を見つめ、道具を握り、いろんな角度から剝いていく。
退屈だと言われたからって、何かおもしろいことを探さなくても、
ただ一緒に待つだけで十分だ。
その人にとって面白いことは、本人がちゃんと見つけられるのだから。
(さいこ)
4歳から11歳まで、一緒に長縄。
跳びたい人は跳ぶ。
くぐりぬけたい人は、くぐりぬける。
じーっと眺めている人もいる。
近くから見る人も、遠くから見る人も。
1回飛んで出る人も、
数回飛んでから出る人も。
みんな同じようにしなくても、
思い思いの方法で、十分楽しめます。
(さいこ)
初めての、リーダーや相談役がいない こちゃっこい(=かちゃっこい)。
そんな風に考えている自分に気づく。
リーダーや相談役がいないからと言って、何か違うことがあるのか、私は。
知らず知らずのうちに、ちょっと身構えていたようだ。
ふーっと息を吐き、久しぶりの朝の武蔵野公園バーベキュー広場を歩いてみた。
冬の気配を感じる澄んだ空気。色づき始めた木々の葉。
ああ、歩くって気持ちがいい。思わずメロディーを口ずさむ。
歩いているうちに、したいことがむくむくと湧いてきた。
葛つるのリースづくり、セイタカアワダチソウ染め、竹箸づくり。
ああ、ひとりでも大丈夫だ。私はひとりでも十分楽しい。
そうこうしているうちに、小さい人たちがやってきた。
小さい人たちの、小さくて大きい世界に連れて行ってもらう。
小さい人たちとのひとときの後は、大きくなった人たちとのかたらい。
大きな人たちの、やさしくてやわらかい部分を一緒にあたためる。
朝思いついたことは、ひとつもしなかった。
しなくても、十分おもしろそうなことが目の前にあったからだ。
思いつかなかったことに出逢うのも、また楽しい。
ついつい、to doリストをすぐにいっぱいに並べがちだし、
それをどんどん消していくおもしろさを知らないわけではないけれど、
今は、その時その時に出逢うハプニングを、そのまままっすぐキャッチすること、
キャッチしたものを反射的に返さず、大切にあたためてみることのおもしろさをじっくり味わいたい。
「ひとりでも大丈夫だ」という当たり前のことを、体感できたから、
来月も、かちゃっこいをひらいてみようと、決めました。
【今後のかちゃっこい】 くわしくはこちら
11月17日(木)10時~13時
12月1日(木)10時~13時
(さいこ)
夏休みのこちゃっこいは、
野球かキャッチボールか川遊びか木登りしか
ほとんどしてなかったと思う。
こちゃっこいで、ぼくがやりたいことが、だんだん決まってきたようだ。
(ゆうご)
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同じ場所で、毎回違う人が来るのがおもしろかった。
なんだかんだ毎回人は来ていて、誰も来ない日はなかった。
こちゃっこいの日は台風の時期も意外と雨が降らなかった。
もう、あんなにいっぱいあった木材もなくなってきたな。
お弁当、おいしかったな。
エノキ、そろそろ折れそうで、怖いな。エノキもがんばってんだな。
夏もそろそろ終わり。
雪合戦、たき火・・・ 冬は何しようかな。
(げんま)
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【7/22】
洗面器2つを持ち込み、どっちが雨をたくさん集められるか、対決していました。
芝生の上に置いてみたり、
風の動きを見てみたり、
木の下の枝からぽたぽた大きなしずくが落ちるところを探したり、
葉っぱを揺らしてみたり、
歩き回って、雨どいの下に、滝のような流れを見つけたり。
終わるころには、どちらの洗面器も、
水がいっぱいたまっていました。
いやあ、絵面(えづら)はかなり地味でしたけれども、
(写真でも、現場のゆかいな感じはちっとも伝わらない…)
しかしまあ、こういうことを自ら思いつき、それをそのまま実行に移し、
何時間もあきずに(途中ほかの遊びをしつつ)やりきる子どもたちに脱帽です。
ああ、おもしろい。
(さいこ)
【8/23】
Kくん(小2)が泣いているところを初めて見た。
初めて会った相手に、意を決して放った言葉が、
すぐに跳ね返って、自分の胸に刺さった瞬間。
ぐっと口を閉じたけど、思わず漏れたうなり声。
からだが動かなくなり、へたり込む。
涙があふれてくる。
その様子を、息をつめて、見つめている周りのヒトたち。
彼らも、すぐには体が動かない。声が出ない。
声がおさまり、息づかいが少しずつもとに戻ってきたけど、
まだ体は動かない。顔はあげられない。
私が「ひとりでしんどいなら助け舟出すけど。」とつぶやいたら、
「大丈夫。ひとりでいけるから。ちょっと待ってて。」と、静かな声が返ってきた。
しばらくすると、一緒に遊んでいたヒトたちから、
「次、○○の番だよ~」と、声がかかった。
その声に応えて、ふらっと立ち上がって、元の遊びに戻った。
まるで何もなかったように、誰も何も言わない。
だけど、お互いに、ちょっとだけ譲り合う気配はある。
・・・ひとつひとつの経験が、ひとりひとりの血となり、肉となる。
今日もありがとう。
(さいこ)
参加者数12名(子ども8名、大人4名)
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水鉄砲しに、野川に行くとき、すごく盛り上がったんだよね。
裸のおじさんがいて(※日光浴しているおじさん?)、その人を「キッチーズ」って呼ぶことから始まったんだ。
誰もかれもがキッチーズ。最後には、「おれたちもキッチーズやん!」って、ふたりで大爆笑。
キッチーズ、おもしろかったなー。
小さい子たちと、すいかのビーチボールで遊ぶのも、すごいおもしろかった。
ぼくがなげたら、頭にぼすってあたって、跳ね返ってきて、何度もこっちに戻ってきて、バレーボールみたいで、
でも、その子はなかなかキャッチできなくて、「キャッチできなーい!」ってなって、それがかわいかった。
(げんま)
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6年生男子Hくんが初めてやってきた。
来て早々、「どれ使っていいの?」「これいいですか?」とつぎつぎに質問するも、
誰かが「こちゃっこいは、ここにあるもので何やってもいいんだよ。自由に遊んで大丈夫。」と言うと、
目が輝き、じーっと廃材を見つめて、あっという間にゴム鉄砲(のようなもの)をつくってた。
その後も、えのきに枝の方からのぼってみたり、木切れを延々と小刀でとがらせたり、
自分の興味関心のおもむくままに、そこかしこで、やりたいことをやりたいだけ、遊びちらかした。
木切れをとがらせながら、同学年のげんまと、ぽつりぽつりと。
「こんなに、小刀でずーっと削れるのって、なかなかないよねえ。」
「そうそう、図工だったら、そんなに時間ないし、『ここまでー』ってなる。」
「削るの飽きたら、ほかのことやって、また戻って削って・・・なんかいいよね。」
帰り際、「こんな場所があるなんて、ぼく知らなかったよ」と話してくれたHくん。
また、来てくれたら、うれしいな。
(さいこ)
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うーん、感想ねえ。そんなにないなあ。
今日(7/13)は調子が悪い。
(ゆうご)
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参加者18名(子ども11名・大人7名)
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また、広いはらっぱに来たので、(げんまくんと同じで)やっぱりほっとした。
えのきの上で、リコーダーを吹くと、なんか風にそってリコーダーの音が流れて、
遠くまで聞こえたので、音がいつもよりきれいだなあと思った。
リコーダーで、号令みたいな音を出すよりも、
曲を流したほうが、気持ちいいってことがわかった。
(ゆうご)
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ほっとした。
木材がいっぱいあったから、いろんなものがつくれた。
二日続けてやったから、ちょっと疲れた。
(げんま)
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かなり本気で相撲をとる。
魚とりの網をつかって、バスケットゴールになる。
野川で魚やざりがにをおいかけまくる。
小刀で木刀やブンブンゴマをひたすら削る。(なんで木刀?なんでブンブンゴマ?)
1本のリコーダーを順番に吹きならす。
子どもがのびのびやりたいことに没頭している傍らで、
子どもを見守りつつも、のんびり、特に日常生活には役に立たないようなことをするおとなたち。
のんびり本気で遊ぶおとなから、子どももたくさん刺激を受けている。
自分のお父さん、お母さんじゃない人の背中に乗ったり、相撲をとったり、
楽器のセッションをしたり、歌ったり、一緒にのこぎりをぎこぎこしたり。
いろんなおとながいて、みんなそれぞれ得意なことがあって、
子どもは、それぞれのおとなから、自分が学びたいことをさらっと自然に学んでいく。
みんなが同じことをしなくてはいけない場所だと、いろんな人がいると、ちょっとしんどいこともある。
なにをしても大丈夫な場所だからこそ、いろんな人がいることのうれしさを感じられるのかもしれない。
いろんな人がいることを、素直によろこべる場所でありたいな、と思う。
(さいこ)
参加者27名(子ども17名・大人10名)
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部屋の中も楽しいけど、
しばふがあって、広いところのほうが、なんだかほっとする。
たまになら、いこいの家に行ってもイイかなあと思った。
庭には、複雑な通路があったから、鬼ごっこが楽しくできた。
(ゆうご)
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みんなで鬼ごっこするのが楽しかった。
(いこいの家が)家から遠かったので・・・・・・、遠かった。
ソファーはいらない。池がほしい。
たまにはいいけど、やっぱり外がいい。
(げんま)
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初めての室内こちゃっこい。
室内だと、どんな風に遊びが変化するのかな、と思っていたけど、
(庭の回廊を活用した)鬼ごっこ、
(職員さんに教えてもらって)かぶと虫の幼虫とり、
(庭にあった水の入ったバケツを活用して)洗濯ごっこ、
(庭にあるプランターをどかしながら)ダンゴムシ探し、
(ソファーからソファーへと渡り歩く)海に落ちるなゲーム、
(フローリングにもかかわらずとりつづけた)相撲、
(ビーズ、スパンコール、牛乳パックなど不用品をつかった)工作、
と、ほぼ、今までと同じような遊びに興じる子どもたち。
(いつもと違ったのは、トランプやオセロくらいかな。)
こわれそうなものがいろんな場所に置いてあるのと、
いつもの場所とは圧倒的に広さが違っていても、
子どもはどこでも大丈夫なんだなあ、たくましいなあ、としみじみ思った。
にもかかわらず、帰り際、子どもたちは口々に
「楽しかった!けど、やっぱり外のほうがいいなあ。」と言っていた。
あんなに遊びまわっていたけど、
やっぱりそれでも、何か物足りないものがあるんだなあ、
あのはっちゃけた雰囲気は、物足りなさをふりはらってたのかなあ。
またひとつ、教えてもらった。
(さいこ)
参加者30名(子ども20名、大人10名)
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こちゃっこいには、そんなに人が来ないと思っていたけど、
2回目や、3回目には、20人近く子どもが集まったので、びっくりした。
人が多いと、なんだか混雑していて、おもしろかった。
みんなが持ってきた木切れで、いすをつくってみたら、意外と丈夫だった。
今度から、終わりや昼ご飯の合図に、リコーダーを吹きます。
なんだか適当に吹きます。1回目はお昼ご飯の合図で、2回目はこちゃっこい終了の合図です。
(ゆうご)
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新しい人がいっぱいで、なんかおもしろかった。
大きい子がいっぱいいたけど、えのきはやっぱり大きかった。
みんながもってきた木材も、たくさんだった。
(みんなが持ってきたビニール)シートもいろとりどりだった。
ちょっぴり、野球のコツがわかった。くつも多かった。
(げんま)
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木工作する。
(看板つくる人、人形つくる人、椅子つくる人、みんないろいろ)
ドッヂボールや野球(もどき)で遊ぶ。
(おとなから赤ちゃんまで、それぞれのルールで、勝ち負けにこだわらず)
木登りする。木にぶらさがる。
(登れない人は、自然と大きい人がおしりを押してくれる)
花でいろんな場所をかざる。
(野川につくったお風呂に、帽子に、花瓶に、みんな思い思いに花を愛でる)
マンガを読む。
(数人でかたまって、寝そべりながら黙々と。そして、おもむろに遊びに戻る)
おなかがすいたら、それぞれのタイミングでランチする。
(まだまだ遊びたい人は、自分のタイミングであとから食べる)
昼過ぎに帰る人、昼過ぎに来る人がいる。
30人が、同じ場所にあつまり、
誰の指示も受けず、自分のやりたいことに、ただただ、まっすぐ向き合う。
危ないこと以外は、ほとんど何も止められない。
やりたくないことはしなくていい。
やりたくなったら、途中から入っていい。途中で抜けてもいい。
たった3回だけど、
想像以上に、豊かで広がりのある場が育ちそうな感じがする。
そして、まだまだ(私が気づいていない)可能性がたくさんつまってる気がする。
(さいこ)
参加者25名(こども15名、おとな10名)
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昨日は、まっ晴れだった。
なので、あせをいっぱいかいた。
そして、いろいろな遊びをした。
たとえば、キックベースや木のぼりをした。楽しかったであーる。
(ゆうご)
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人がいっぱい来たので、お弁当がいろとりどりーーーっ!
風が強くて、えのきがぎしぎしいってたから、折れるんじゃないかと心配した。
(げんま)
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木のぼりしたら、木の上に水たまりがあって、靴が濡れた。
裸足になったら、しめった土と草が気持ちよかった。
日なたの草はあったかいけど、
木かげの草は、ひんやりして冷たかった。
日なたをしばらく歩いていると木かげが恋しくなり、
木かげを歩いていると、日なたに行きたくなる。
足裏から伝わる、感触をゆっくり味わいながら、ふらりと歩く時間。
ひとりでにんまりしながら歩く、からっぽの時間でした。
(さいこ)
先日のこちゃっこいに参加した、はるのの感想。
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雨ってちょっと楽しいね。
水筒の水も要らないしさ、
家もくっつくし。
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雨で枝が濡れていたおかげで、枝同士がくっついて、
家を組み立てやすかったという意味ではないかと推測しています。
雨が降ったからこそ、味わえるおもしろさ。
雨が降らないと、知ることのなかった感覚。
また、雨の日の味わいをひとつ学びました。
(さいこ)
参加者:12名(子ども7名、大人5名)
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下の写真のように、家を木の枝でつくった。
最初のほうは、たこをつくって、たこをあげた。
雨が強くなったので、解散した。
けれど、13時から参加予定のKくんがうちに来たので、
そのあとも、まだ、家でこちゃっこいは続いた。
(ゆうご)
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風が強くて、ふきとばされちゃいそうだった。
途中で、雨が降ってきたので、びしょびしょになった。
みんなのレインコートが雨にぬれて、カラフルだった。
あずまやにいた隣のおじさんはかっこよかった。
(げんま)
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今日は、第1回こちゃっこいの日。
風が強いおかげで、たこがとぶとぶ。
くるくるまわったり、タコ糸がはずれたりも、なんだかおかしい。
たこを見がてら、上を見上げると、雲の流れがすごーく早い。
白い雲、灰色の雲、黒みがかった雲。
大きくて重そうなのもあれば、薄くってふわふわしたのもある。
思わず、誰かが「くもにのりたいなあ」とつぶやいた。
たんぽぽが、のはら一面に咲いていた。
きいろがいっぱい。みどりもいっぱい。
雨にぬれて、風にゆれて、気持ちよさそうだった。
久しぶりに花輪をつくっていたら、
「これあげる」「これもどうぞ」と、次々に小さな花束が手元に届いた。
そんな気持ちがうれしくて、帽子にくっつけてたら、
あっという間に帽子はたんぽぽまみれになった。
「木のおうちでお弁当食べたい」との、つぶやき。
「ひとりではできない」と、彼女が言うので、仲間を探しに出かけた。
初対面の相手に話しかけるのをためらい、下を向く彼女の代わりに、
私からお願いしてみると、「いいよ~」と気の抜けるような軽い返事。
木の枝を探しているうちに、他の仲間も寄ってきて、一緒におうちをつくりだした。
何度か強い風に枝を倒され、仲間がひとりふたりとあきらめる中で、
ただひとり「この枝が~、もうちょっとこっちだったら~」とぶつぶつ言いながら、
もくもくと、補修をするのが楽しそう。
何とか形になるころになると、なぜか仲間が再びあつまりだす。
「ああ、こうしたんだ~、なるほどねえ」
「もうちょっと、ここ、こうしたらどう?」
なんてやりとりがあって、はい完成!
風と雨がますます強くなってきたので、今日はここで公園をひきあげ、
午後からは公園付近の自宅で、こちゃっこい延長戦。おだやかに過ごしました。
今回は午前中だけで終わったのが心残りなので、
4月29日(金)に臨時でひらくことにしました。ぜひご参加ください。
(さいこ)