「バッタランドに行きたい!」とSくん。
「誰か誘う?」と聞いたところ、「SとJに聞く」と、答えるので、二人に聞いたけれど、返事は二人ともNO。
Sくんはどうするかなあとしばらく様子を見ていたら、「じゃあ、やさいの唄、歌ってみよう!」と言って、にこやかに真剣に歌いだしたのは、こんな唄でした。
♪ いちご、にんじん、さんまのしおやき、ごぼう、はくさい、きゅーり! オー ♪
ふんいきは聞いたことあるけど、メロディーも歌詞もアレンジが加わっているオリジナルソングでした。
すると、Sちゃんが近づいてきて、「やっぱり、バッタランド、いくーーー!」とまさかまさかの心変わり。
私が内心びっくりしている隣で、Sくんは、さも当然のような顔をして、「さいこさん、さあ行きましょう」と言い、バッタランドへ歩いて行きました。
うしろをついていく私とSちゃん。
バッタランドについて、Sくんは、ふたたびあの唄を高らかにうたいます。今度は私も一緒に唄いました。
すると、なんと!Jが向こうのほうから走って来るではありませんか。「さいこー!Jもバッタランド行くーーー!」と言いながら。
こうして、結局、Sくんの思い通り、4人でバッタランドに行くことになりました。
なんだ!このミラクルは。
Sくんはいったい何者なのでしょう。
子どもってやっぱりすごい。
本人より大きな人がつくったものと同じものがつくりたくなって、「あれほしい」「つくって」と言われたとき、どうしていますか?と聞かれました。
知り合って間もない間柄で、私に「ほしい」って言えただけで今は十分だと感じたら、ささっとつくっちゃうかなあ。
そろそろ一緒につくる喜びも味わえるかな、と思ったら、「一緒につくろうよ」って答えて、一緒に楽しむかなあ。
いや、今までのあなたの実力を見る限り、まずは自分でトライしてみようよ、できなかった時点で手を貸しますよ、と思ったら、「とりあえず自分でやってごらんよ」と少し手を離してみるかなあ。...
いつもなら自分自身でつくれそうだけど、今日はいろいろあったから甘えたいのかなあ、と思ったら、「あ、いいよ」ってつくっちゃうかなあ。
いつでも、どこでも、誰にでも、普遍的な正解はないのはもちろんだけど、自分にとっての王道パターンみたいなものもつくらず、1回1回新鮮な気持ちで、その瞬間に感じたことに正直でありたいなと思っています。できるだけ同じようにふるまおうとか考えちゃうと、目の前のその人と私が置いてきぼりになってしまう気がします。
そして、私のふるまいに対して相手が納得しない時には、その反応を見て、さっきと180度反対の対応になることを恐れずに、再度、目の前にいるその人を見直して、自分の感じたことをまっすぐに伝えるようにしたいなと思っています。
ひとりひとり違っていていいよね、というのと同じくらい、
さっきと今が違っていていいよね、と思っています。
10歳くらいまでは、自分ひとりの世界にどっぷりひたるのが大好きで、外にいても家にいても、ふわふわファンタジーの世界に片足をつっこんでいました。
一方で、母と一緒に、お料理やお裁縫、工作やお絵描きをするのも大好きで、弟ふたりのお世話をしながら、母にくっついていました。
家の中だけで十分楽しかった私をおそとの世界に連れ出してくれたのは、友達の存在でした。「あの子と遊びたい」と思うようになって、おそとの楽しみを知るようになりました。
子ども時代に慣れ親しんでいた遊びたちを、おそとに連れ出そうと思って、カートに道具や材料を積み込んで、胸にはファンタジーのかけらを抱えて、おそとで過ごしています。
...今、おうちで遊ぶのが大好きなお子さんも、おそとに出たくなるきっかけになって、世界が広がったらいいなあ。そして、走り回ったりするのが大好きなお子さんが、じーっと集中するような遊びにも興味を持つきっかけになるかなあと思いながら。
シーツ1枚から広がるそれぞれの世界。
集まった人が順々に引き裂いて(びりびりびりびり~♪というオリジナル曲にのせて)、思い思いのアイテムとして、持ち去っていきました。
凧のようにひも状のものを持って走り回る人、肩に結びマントにする人、腰みのにする人、マントが前にかかってよだれかけのようになっている人。
そして、それを身にまとったまま、お互いの設定を確認し合い、橋の上を走ったり、崖を登ったり。
どんなものでも、遊びに替えていく力を、まぶしく見守っています。
Jくんの母、由紀さんから熱いコメントをいただきました。シェアします。
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Iくん(5歳)が「恐竜ごっこやろ~」と誘ってきた。
Tくん(2歳)を連れて。「いいよ」と返事すると、私の手を握る。
「誰か他に誘う?」と聞くと、Iくんは「う~ん」と言いながら、他の仲間たちの後ろを追う。
やがて、「Jく~ん」とJくん(3歳)を呼びかけると、Jくんはこっくりうなづいて「いいよ」とやる気になった。
私が「どうやって(恐竜)やるの~?」と聞くと、Iくんは「肉食と草食にわかれて、草食はおやまの下で、肉食はおやまの上にいてね。」と説明した。
TくんとJくんは草食恐竜に、Iくんと私は肉食恐竜になると、IくんはTくんとJくんにおやまの下まで草食恐竜について説明しに行った。
TくんとJくんは、草食らしく、よつんばいでのっしのっしと歩く。どうやらIくんの話が通じているみたい(笑)
肉食の私たちが草食を襲いに行き、たたかいが始まった。Jくんが「ガオーガオー」と(肉食恐竜のように)たたかっていると、「違う違う。草食はこうやってたたかうの!」とIくんに修正される。やがて、Jくんは仲間であるはずのTくんをおそう。Tくんはお母さんの元へ逃げる。
なかなか恐竜ごっこがかみ合わない、もりあがらない。
そこにWくん(3歳)登場。Iくんが嬉しそうに誘う。
お母さんの元に行ったTくんのことも気になるIくんは、WくんにTくんが恐竜ごっこを続けるかどうか聞いてくるようにたのむ。
WくんはTくんの元にかけより、やがて戻ってきたが、Tくんを誘ったのかどうかはIくんに何も言わなかったので、結局、Iくんは自分でTくんに聞きに行き、そのまま居すわる。
Iくんに恐竜ごっこに誘われたJくんとWくんだが、Jくんは葉をむしりながら、Wくんは泥だんごを作りながら・・・それぞれが、それぞれの時間を過ごす。
この時間がよかった。
WくんとJくんは一向に恐竜ごっこが始まらないことにイライラすることもなく、遠くにいるTくんとIくんのほうを見向きもしないで、思い思いに過ごしていた。
でも、Jくんは恐竜ごっこのことは忘れていないようで、また泥だんごをつくりにその場から離れようとしたWくんを制して、元の場所に戻した。
子どもの時間は大人の時間とは違うんだなあ~と改めて思う。
大人になっていくにつれて、やらなければならないことだらけで、一つ終わったら次、また次のことと時間を区切って生活している。学校もそうだ。
やらなければならないことが終わらないと焦るし、やりたかったことでさえも、終わらないと気が済まない。しかもできるだけ早く終わらせたいのだ。
何でこんなに時間に追われるようになってしまったんだろう。
いいなあ~この子たち。これでいいんだよな~とWくんとJくんを見ていて、しみじみ思ってしまった。
やがて、WくんとJくんは二人で恐竜ごっこを始めた。Jくんの恐竜はWくんの考える恐竜とは違っていたようで、「恐竜はたたかないよ、たたかない」と泣き出し、お母さんの元へ。
Sくん(3歳)が大きな枝を持って、Jくん恐竜に挑むと、Jくんは枝を奪う。Sくんもお母さんの元へ。
そこにIくんが戻ってくる。Iくん恐竜が噛むのが痛いとJくんが訴えると、最終的に恐竜の攻撃はくすぐることになっていた(笑)
とことん、とことん、かみ合っていない恐竜ごっこだったが、子どもたちは体のぶつかり合いを通して、それぞれの思いが吐き出され、とてもイキイキとしたひとときだった。
Iくん、ありがとう。
(由紀)
自分の作品を持ち帰る人もいれば、持ち帰らない人もいます。
家族に見せることを楽しみにしてつくっている人もいるけど、そうじゃない人もいます。自分の力を出しきったら、それでおしまいって感じで、できあがった作品にはまったく頓着しないのです。あるいは、自分が満足できるレベルの作品だけを持ち帰りたいという人もいて、ほとんどの作品を人に譲ったり、置いて帰ったりしています。
真剣に集中してつくっている時もあれば、道具や材料とひたすら戯れている時もあれば、言葉にならない気持ちをぶつけている時もあります。
道具や材料の制約があるので、時には優先順位をつけざるを得ない時もあるけど、できる限り、どんな取り組みでも等しく見守りたい、と思っています。
子どもたちは、おえかきが大好きです。
風にはためく布に色水をかけたり、筆でかきつけて、仲間とともに風と色を味わったり、ひとりでじっくり色の変化を楽しんだり、大好きなモチーフを繰り返し書き続けたり。
色と形。ひとりとみんな。いったりきたりしながら、ひとりひとりいろんな方法を試しています。
いろんな人から、いろんなものが集まってくるようになってきました。
牛乳パックや空き容器などの廃材や不要になった絵の具やクレヨンはもちろん、脱脂綿、歯ブラシ、靴下、毛氈(もうせん)、紙製スリーブやリボンなども、譲っていただきました。
さてさて、子どもたちがどんなふうに使うのやら、今から楽しみです。
ビニール袋に土を入れたり、川の水をくんだり、草を入れたり、もんだりして、お料理していると、おじいちゃんおばあちゃんの一団がむこうから歩いてきました。
おじいちゃんおばあちゃん「なーにやってるの?」
子どもたち「おりょーりー」
おじいちゃんおばあちゃん「はだしきもちよさそーね」...
子どもたち「きもちいーよー(にっこり)」
(この後、やりとりが数回続いたあと・・・)
おじいちゃんおばあちゃん「じゃあ、みんななかよくねー」
こんな風に、ハイキング中のお年寄りや犬を散歩中の人、サイクリング中の人から、しょっちゅう話しかけられています。子どもたちのほうから話しかけることもあります。
公園には、大人だけでなく、他の幼稚園・保育園、小学生やアメリカンスクールの子どもたち、知的障害のある方々も来ますし、公園を整備する人もいます。
いろんな人が行き交う大きな公園で日々遊んでいるおかげで、子どもたちは、知らない人だというだけでは、警戒しません。じーーーっと相手を観察して、近づいても大丈夫な相手かどうかを見極めて、大丈夫と思った瞬間に近づいていきます。開かれた場所で遊んでいるからこその、おもしろさです。
きっちり線引きしてしまうほうが、管理する大人にとっては安心でラクだけど、線引きすることで失われてしまうことも多い気がするから、境界線をあいまいにしたまま、どこまで許容するかを日々まどいながら、安全に気を配りながらも、子どもたち自身が勘を磨くチャンスをできるだけ奪わないようにしたいと心がけています。